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宇都宮 勉のページ

Tsutomu Utsunomiya's Page

​日野 学

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 1994~95年に起きたオウム・サリン事件は、米ソ冷戦の「崩壊」に直面して軍拡の口実を失った日本の軍産複合体が、宗教団体オウム真理教にスパイ(自衛官、公安警察官)を潜入させて教団の軍事化を進めて毒ガス兵器サリンを製造させ、地下鉄駅で無差別大量テロを教唆し実行させることで日本に危機をねつ造し、それを口実に 25 兆円超の大軍拡計画を執行した謀略事件だった可能性がある。
​ その証拠に、地下鉄サリン事件では「何が、どのように」撒かれたのか? 当時の1995年3月の「毎日」「産経」「東京」各紙によれば、サリンが「ガラス容器」で撒かれたと報道されている。しかしオウム裁判では、サリンは「約20センチ四方の四角形の密閉ビニール袋」を傘の先で突いて漏出させたとされている。どちらが正しいのか? どちらも正しいのではないか? サリン散布部隊は2チームいたのではないか? 一つはビニール袋で撒布したオウムたちの「チームA」、もう一つはガラス容器で撒布した「チームB」である。なおガラス容器でサリンを撒けるのは、スパイ(自衛官)達しかいない。
 これらのスパイたちについて諜報省次官・井上嘉浩は、「〔無差別大量テロ〕武力革命を麻原と共に企画したのは、初期の頃は教団の中枢機関である特別総本部に属する側近らの活動で...後に特別総本部は S.P.S (尊師パーソナル・スタッフ=麻原のボディーガードである自衛官、公安警察官達)に名称を変え、...S.P.S は法皇官房に名称を変えました」と述べているのである。

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